3児の父親が2年休職し、ベトナムでJICAボランティアをする理由

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こんにちは。Gakujinと申します。

地方のテレビ局に勤めるアラフォー会社員、

家では3児の父親です。

 

2021年9月。

JICA海外協力隊の隊員として

ボランティア活動をするため、

2年間のベトナム生活を始めました。

 

会社は休職し、給料はゼロ。

このコロナ禍ではおそらく2年間、

家族にも会えません。

   

「なぜそんな道を?」と聞かれるたびに、

口下手な私はあらゆる前提をすっ飛ばし、

「皆さんに支えられたから

ピンぼけ回答で濁してきたのですが、

 

聞いて下さった方はそのピンぼけ具合に

「おぉぅ・・」という生煮え反応しか

できない状況でありました。

 

そこで今後は、

よろしければブログをご覧下さい!」

と答えられるよう、

経緯や私の思いを記しました。

 

全国で”ローカル”を支える方

JICA海外協力隊の受験を考える方

少しは役立ちそうな情報も盛り込みました。

 

ものすごく長文なので、

目にとまったところだけ

読んでいただければ幸いです。

※当記事の内容は筆者個人の見解又は筆者の調査に基づく情報であり、

 所属先企業およびJICAの立場・見解を代弁するものではありません。

 ローカルの逆襲

1982年生まれの私は、

ベトナムに来るまでの39年間、

ずっと石川県民でした。

  

都会への憧れもありましたが、

高校生の頃、ネット進化の爆速ぶりを見て、

「地方が世界とつながる未来」

より強いワクワクを感じました。

 

地元の大学に進学後、

地元でワクワクできそうな道を選ぼうと

2005年、地元のテレビ局に入社します。

 

 

私が入社した頃のテレビ業界

全盛期の順風に帆をふくらませながら、

迫り来る荒波と向き合っていました。

 

  • 地上デジタル放送開始(2003年)
  • YouTube誕生(2005年)
  • 初代iPhone誕生(2007年)

  ちなみにホリエモン氏によるフジテレビ買収騒動も

  私が入社した2005年でした。

 

この雲行きを見れば、

テレビ業界が「何もしなければ沈む」ことは

若手社員の目にも明らかでした。

特にローカル局(地方テレビ局)は。

  

そんな状況だからこそ自社の社長は、

「新しいチャレンジを

 どんどんしなさい」

若手にも声をかけてくれました。

 

私は取り柄もなく、

やりたいことも漠然としていましたが、

先が見えないからこそ

チャレンジできる環境

毎日ワクワクしていました。

 

 

一方、”ローカルの衰退”

テレビ局だけの話ではありません。

全国の”ローカル自治体”が

少子化&若者流出で元気をなくしています。

  

なんとかしたい。

なにをすべきか。

  

そう考えるうち、

海外に目が向きました。

 

 

インバウンド、留学、海外展開・・・

”ローカルな人”がどんどんグローバル化して

新たな市場でローカルを支えているのに、

「放送エリア=石川県のみ」のローカル局

貢献できる方法は限られていました。

 

もっとローカルの役に立つには、

エリア外の強みが必要だ。

 

どうせ強みをつくるなら、

地元の役に立ちそうなところ・・・

そうだ、アジアへ行こう。

 

 

まるで仕事しているかのように

書き殴っていますが、

ここまで全て、

若手社員の妄想です。

 

 英検3級の逆襲

そろそろ「若手」ではなくなった30代前半。

私は

「ローカルとアジアをつなぐ」

というライフワークを掲げました。

 

日本のローカルアジアの各地域

良きパートナーを得るための

コンテンツ(映像や記事)をつくる。

そんな構想から出発しました。

 

 

まずはネットを駆使して、

海外コンテンツの研究からスタート。 

  

 

まぁわたくし海外経験は元々、

 

 

・・・とか言えたらよかったのですが、

 

留学経験なし、

アジア渡航経験もゼロでした。

 

しかも英語力は、

英検3級(中学卒業程度)。

 

とーいっく?

あぁ、あれね・・・。

 

そんなレベル。

※今でもTOEIC受けたことないです。

 

海外の文献や番組にはたどり着くものの、

内容を理解するのに

途方もない時間がかかりました。

 

そのくせ「アジアをつなぐ」とか

いっちょまえにべらべら言うもので、

ライフワークを

鼻で笑われる日々が続きます。

そりゃそうです。

 

 

能力不足を痛感した私は、

長期休暇の度にLCCでアジアを回り

つながりのヒントや先行事例を

ひたすら吸収しました。 

 

一方で、

既に家族を持ち、父親となっていた私。

 

妻からは

海外より家庭に目を向けるよう

お叱りをいただきましたが、

謎のアジア旅を繰り出す夫の異常行動を

妻は一切止めずに後押ししてくれました。

 

 

こうした悪あがきはゆっくり芽を出し、

やがて仕事にも活かされます

 

当時は報道記者をしていましたが、

本業と関係ない海外取材に行ったり、

その取材をもとに長編番組をつくったり、

様々なチャレンジの機会に恵まれました。

 

 

ただ、当然ながら、

海外に目を向けているローカル局

すでに山ほどありました

※地上波ローカル局は120局くらいしかないですが・・・

 

だから、

強みをつくり、のばすには、

「選択と集中」が必要でした。

 

 

現地観光調査もこなれてきた2017年の秋。

私は決めました。

 

ベトナムに全集中する!」 

 ※”全”は某マンガ読破後の後付けです

 

 なぜ、ベトナム?

4年前の私がベトナムに惹かれた理由。

一部を挙げます。

※統計は最新データ(2020年)に置き換えています

  

  • 若い人がとても多い

 人口は約9760万人

 10年で約1000万人増という驚異的ペース!

 2040年頃には

 日本の人口を上回ると予想されます。

 

 そんな勢いもあって

 国民の平均年齢32歳

  4年前に調べた時は29歳でした。東南アジアの中では標準的。

 ちなみに日本の平均年齢は48歳。 

 

 実はベトナムもすでに

 「高齢化社会」に突入していますが、

 まだまだ若い力がみなぎる国です。

 ※・ベトナム統計総局・日本の総務省・JICAの資料より

  平均年齢は正確にいうと「中位年齢」です

 

 

  • 景気がとても良い

 一人あたりGDP(豊かさ指標の一つ)は

 ここ30年で28倍に

 日本の高度成長期とほぼ同じ伸び率です。

 (ちなみに日本はここ30年で1.3倍。)

 

 経済的な理由で職を選べなかった方にも

 少しずつチャンスは広がっていますし、

 海外からの投資がどんどん増える中で、

 グローバルな人材もどんどん増えています。

  ※IMF・内閣府の資料より 

  GDP比較は1990年と2020年

 

  • 国同士がとても仲良し

 以前から仲は良かったのですが、

 2014年に日本がベトナムとの関係を

 「アジアの平和と繁栄のための

  広範な戦略的パートナーシップ」

 と言うようになってから、

 両国の熱愛ぶりが急加速しました。

 2017年もベトナム・ダナンで開かれた

 APEC首脳会議で盛り上がりました。

 

  • 国民も比較的「親日」

 これは私が現地を訪れた際の肌感覚です。

 周りでも同じ意見を持つ方多数。

 

 

つまりは、

元気があってフレンドリーな国なので、

「もっと仲良くなりたい!」

と単純に思ったのが最初の理由です。

 

 

そして、大きな理由がもう一つ。

 

それはベトナムが

「もっと大事な存在になる」

と確信したから。

 

 

これを書いている2021年9月時点、

コロナで様々な障壁があるにもかかわらず、

4年前の確信を上回る状況になりました。 

 

~~~~~~~ 

 

日本に住むベトナム人

2012年末に5万人ちょいだったのが、

2020年末には

約45万人に急増。

 

在留外国人を国・地域別にみると、

 1位 中国 約78万人

 2位 ベトナム 約45万人

 3位 韓国 約43万人

 

長年ツートップだった隣国に、

初めてベトナムが割り入ったのです。

※法務省「在留外国人統計」より

理由は色々あるので、また別記事で。。

 

 

一方、私の地元は

もっとすごいことに。 

 

石川県に住むベトナム人

2020年末時点で約4200人。

 

ついに中国を抜き、

石川県で最も多い外国人

=ベトナム人

となりました。

※石川県国際交流課の資料より

 2位の中国とは僅差なので、また変わるかも知れません。

 

~~~~~~~

  

時を戻そう。

 

私が「ベトナムだ!」となった2017年。

すでにたくさんのベトナム人が、

日本の各業界を下支えしていました。

 

課題は色々あるけれど、

日本とベトナム最強コンビ

なりつつありました。

 

 

それなのに。

 

 

少なくとも私の周りでは、

ベトナム語の案内表示も、

ベトナム語を学ぶ方法も、

ベトナム人と関わる機会も、

圧倒的に少ない。

 

「知ってるベトナム人は?」と周りに聞いても

挙がるのはホーチミン氏とベトちゃんドクちゃんくらい。

  

逆もまた然り。

急増した在留ベトナム人の中には、

日本を知らないまま日本に来て、

犯罪やトラブルに関わってしまう人も。

 

いわば、 

お互い相方をよく知らないまま、

最強コンビを組んでいる状態でした。

 

”ローカル”とベトナムが

Win-Winになるには

相互理解が不可欠。

 

それを手助けすることが

「やるべきこと」、

 

 ・・・というか

「やりたいこと」だ!

  

だから私は、

ローカルとベトナムをつなぐ

 

 

これが「全集中」に至る、

中年社員の妄想です。

 

 

やることは決まりました。

あとは、どうやってやるか。

 

 なぜ、JICAボランティア?

ベトナムとつながる手段は

現地へ行けば無数にありますが、

私はチャレンジできる地元を拠点に

事を成したかったので、

軸足を動かす気はありませんでした。

 

しかし日々の”本業”を抱える以上、

仕事でベトナムと関わる機会はごく一部。

情報収集はコツコツ続けましたが、

強みを磨くには

あまりに時間がかかりすぎました。

 

もっとベトナムに全集中せねば。

 

留学か? レンタル移籍か?

自分探しの旅か?

 

迷える中年子羊の前に、

ある日突然、道が現れます。

 

たまたまwebで見つけた記事でした。

 

 

JICA海外協力隊の隊員が

ベトナムのテレビ局で活躍!?

※当時は「青年海外協力隊」の名称。

 

 

 

おおまかな内容は・・・

 

ベトナムの国営放送局

 日本語の情報番組が毎週放送中

 

★日本とベトナムに関わるニュース

 両国の文化紹介が番組の柱

 

★この番組のアドバイザーを務めるのが

「番組制作」という職種の協力隊員

 

 

!!!

 

 

しばらく、くぎ付けになりました。

 

こんな活動ができれば

日本のローカルだけでなく

ベトナムにも貢献できる!

 

 

JICA海外協力隊とは、

日本のODA(政府開発援助)の一翼を担う

JICAボランティア事業の中核です。

 

各国からの要請に

日本が技術協力で応える援助

ボランティアなのです。

 

なぜ、その道が

ローカルアラフォーの心に

突き刺さったのか?

 

それでは聞いて下さい、

『JICAとベトナムと私』。

 ♪~

 

  • 2年という活動期間

協力隊の任期は原則2年間。

※1ヶ月から参加できる短期派遣制度もあります。

現地にどっぷり浸かりながらも

地元に戻るのが前提の私にとって、

ベストとも思える期間

  

  • 質の高い訓練&フォロー

正式なJICA海外協力隊員となるには、

合宿型の派遣前訓練を修了する必要あり。

発音が難しい&教材が少ないベトナム語を

この訓練でみっちり勉強できるほか、

安全指導や健康管理など、

海外での活動に欠かせないフォローも充実。

 

  • 私のスキル×ニーズの相性

隊員が活躍するベトナムのテレビ局が

JICAボランティアに求めていたのは、

番組全体の質を上げるサポート

私も身を置く日本のローカル局の現場は

一人多役が当たり前。

ディレクター業務,撮影,原稿作成,編集,リポート,記者解説など全部やります

だからこそ、番組全体に関わる

あらゆるニーズに協力できる。

実務歴5年以上という応募条件もクリア。

 

  • 私の思い×事業目的の相性

JICAボランティア事業の目的は3つ。

※訓練時の試験に出るから覚えた!

1.開発途上国の経済・社会の発展、復興への寄与

2.異文化社会における相互理解の深化と共生

3.ボランティア経験の社会還元

もう、どんぴしゃ。

 

 

特に、事業目的を初めて見た時は、

思わず「これだ!」と声をあげました。

※新幹線の中でした。

 

ベトナム×番組制作の隊員募集は

2年に1度、しかも定員1の狭き門。

 

だから何だと言わんばかりに、

エントリシートに思いを込めました。

 

 

その一方。

当然、クリアすべき課題があります。

 

 どうする?会社と家族

課題① 会社の理解を得る

社員の育成や国際貢献を目的に、

会社に籍を置いたまま協力隊参加を認める

「現職参加」に積極的な企業もあります。

 

私の会社は当時そうした実績は無く、

一からの交渉でした。

ボランティア休暇はありますが、さすがに2年も休めません。。

 

JICA海外協力隊に参加するには

派遣前訓練も考慮すると、

2年半の休職が前提となります。

 

人手が限られたローカル局で、

中堅がそんなに長く抜けるのは痛手です。

放浪癖がある変人とはいえ。

 

長丁場の交渉を覚悟しつつ、

思いを伝えました。

 

 

 

社長の第一声。

 

 

「いいんじゃないか。やればいい。」

 

 

私は本当に、恵まれています。

 

 

課題② 家族の理解を得る

これまで夫の単独アジア放浪を

何度も認めてくれた国宝級の妻ですが、

さすがにこの話は別でした。

 

夫がいない約2年半、

仕事をしながら家事も子育てもワンオペ。

「それはまだいいけど・・・」と

妻が切り出したのは、お金の心配でした。

 

前述の通り、

JICA海外協力隊=ボランティア。

生活費や必要経費は支給されますが、

「給与」はありません

 

会社の「承諾」は得ましたが、

休職期間は収入ゼロです。

※現職参加を促す制度として、

かつてはJICAが所属先に人件費を補てんする制度もありましたが、

2021年時点では、休職中の社会保険料に充てる補助制度のみです。

 

何かあった時のためにと

積み立てていた通帳には、

かろうじて家族を2年間養えるお金が

貯まっていました。

 

 

「このお金で生活してもらえないか?」

と切り出す私。

 

 

 

「・・・とりあえず、わかった。」

 

言いたいことは山ほどあっただろうに、

受験を認めてくれた妻。

 

しかし、

そんな身銭を切ってでも、

家族と2年半離れてでも、

本当に進むべき道なのか。

 

自分の腹はくくれても、

家族の不安を拭う言葉は

見つけられませんでした。

 

 ”定員1”の協力隊選考

ひとまずは、

スタートラインにたった私。

 

「ベトナム×番組制作」の要請がある

2017年度秋募集 協力隊選考

に臨みました。

 

 

大学受験が学部や学科別であるように、

協力隊の選考は職種別に行われます。

 

職種の数は、およそ200

要請&応募が多い人気職種もあれば、 

「小学校教育」「青少年活動」「コミュニティ開発」など

私が受験した「番組制作」のように

あまり要請がない”希少職種”もあります。

 

今回、番組制作の要請数は4つ(4か国)。

その1つがベトナムでした。

 

 

1次選考(書類)を通過し、

都内で行われた2次選考。

受験者が面接前に記入するシートには、

派遣希望国を第3希望まで

書く欄がありました。

 

 

 

第1希望ベトナム。以上。

 

 

JICAは派遣国について、

受験者の適性要請先との相性を

総合的に考慮し決定します。

そのため合格者は、

希望した国以外に派遣されることも

十分あり得ます。

 

私のように

第1希望しか書かない強硬策をとったところで、

それは判断材料の一つでしかありません。

それでも私は、

自分が志す「定員1」枠にこだわりました。

 

  

2次選考は

「人物面接」「技術面接」です。

※職種によっては実技試験も行われます

 

なぜ、JICAボランティア?

なぜ、ベトナム?

現地で、何ができる?

 

これまでの妄想がどうにか言語化され、

思いは伝えられたと、手応えを感じました。

 

懸念されるのはやはり、

語学力=英検3級(中学卒業程度)

 

JICA海外協力隊では、

「最低限の語学力」

応募資格の一つとなっています。 

 

その最低限の基準がまさに、

英検3級でした。

 

逆に言うと、

英検3級さえもっていれば

チャレンジのステージには立てる!

 

白帯で柔道の大会に出る心境でした。

 

のっ、のーぷろぶれむ・・・。

 

 

 合格通知

選考結果が郵送で自宅に届く日。

私は中国で取材をしていました。

 

夕方、帰宅した妻に電話をかけ、

届いた封筒の中身を見てもらいました。

 

 

結果。

 

 

 

2次(最終)選考、合格

 

 

 

 

派遣国、タンザニア

 

 

 

味わったことのない感情が沸きました。

 

 

アフリカのテレビ局で活動できるという、

奇跡のようなチャンス。

私がアジアに照準を合わせていなければ、

迷わず進む道でした。

 

 

しかし、

「ローカルとベトナムをつなぐ」ために

協力隊を受験した私に、

この道を進む資格はないと思いました。

 

 

感情を出さず結果を伝えてくれた妻に、

言葉を振り絞りました。

 

 

ありがとう。

ごめん。

 

 

帰国後、JICAに「合格辞退届」を提出

 

せっかくチャンスをくれた方々に、

申し訳ない気持ちでいっぱいでした。

 

 

 捲土重来

協力隊の道は閉ざされましたが、

ベトナムとつながりたいという思いに、

変わりはありませんでした。

  

夏休みには、やはりベトナムへ。

地元と関わりの深い企業や個人

つながりを持つことができました。

 

できることはわずかだけれど、

地道につながりを増やそう。

  

やりがいのあるやりたい仕事に恵まれ、

家では3人目の子どもが誕生。

  

何不自由ない生活に感謝しながら

目の前のことに打ち込んでいると、

  

 

あっという間に2年が経ちました。

 

 

 

JICA海外協力隊 2019年度秋募集

エントリー受付中

 

私のパソコンは、

こんな広告を毎日表示。

※ターゲッティング広告ですね。

 

2年に1度のあのチャンス。

叶わなかった道と

見て見ぬふりをしていましたが、

 

エントリーの締め切りが迫るうち、

気になって仕方がなくなり・・・

 

 

 

結局、

会社と家族に再び頭を下げ、

2度目の挑戦を決意しました。

 

急いで応募書類を仕上げ、

エントリーの提出ボタンを押したのは

締め切り5~6分前でした。

※締め切りを1秒でも過ぎると提出できません。

 よい中年の皆さんはまねしないようにしましょう。 

  

 

前回、合格をいただいたとは言え、

ベトナムの1枠に選ばれなかったのは、

自分に足りないものがあるからだ。 

 

応募に滑り込んでから数週間、

私は自分の弱点強化に徹しました。

  

YouTubeでベトナム語に触れ

あの”語学力”を底上げしたり、

ベトナムの歴史を学ぶため、

戦争に関する文献を読みあさったり。

 

前回の健康診断では

尿酸値が上限ギリギリでしたが、

「お酒がおいしいベトナムに

不摂生な中年を行かせられない」と

判断されたのかも?と考え、

断酒&ウォーキングにも励みました。

 

 

しかし面接日の直前。

私は大きな勘違いをしていたことに

気づきます。

 

 

ベトナムのテレビ局が放送する番組は

YouTubeでも見ることができるため、

協力隊員が携わる日本語番組も

私は毎週見ていました。

 

 

私ならここはカットするなあ・・・

ここはグラフや表があった方が・・・

 

評論家のように番組を見ている自分自身に、

ある日強烈な違和感を覚えました。

 

 

ベトナムと向き合う中で

「やりたいこと」が先ゆくあまり、

ボランティアが「やるべきこと」、つまり

相手のニーズを想像する視点

私には欠けていました。

 

現地のスタッフはどんな思いで番組を作り、

これからどうしたいと思っているだろう。

この番組を見ている人はどんな人たちで、

どんな情報を必要としているだろう。

 

自分が何かをする前に、

相手の「やりたいこと」に

ひたすら寄り添おう。

 

猛省。

 

同時に、

面接で何を伝えるべきか、

まとまりました。

 

 続・”定員1”の協力隊選考

2019年12月。

JICA海外協力隊 2019年度秋募集

2次選考の会場へ。

 

事前に書く調査資料には、

2年前と同じことを

2年前より強い筆圧で記入しました。

 

第1希望ベトナム。以上。

 

 

前回は「人物面接」「技術面接」

それぞれ行われましたが、

今回は1回の面接に統合。

それぞれの試験官が同時に審査します。

 

 

入室。

 

 

「失礼します」

 

 

 

「お久しぶりですね」

 

 

「!!、ご無沙汰しております。」

 

  

2年前と同じ技術担当の面接官が、

私のことを覚えていてくれました。

2年で私がどう変わったか。

お伝えするにはうってつけの状況です。

 

 

なぜ、JICAボランティア?

なぜ、ベトナム?

 

2年前と思いは変わらないことを

わかって下さったのか、

今回はあまり深く聞かれませんでした。

 

そして。

 

 

「あなたは現地で

 どんな協力ができると思いますか?」

 

 

 

 

 

「今の私にはわかりません。

 まずは現地の方と

 ベトナム語で話し合って、

 同じ釜のフォーを食べて、

 そこで何かが見えてから、

 自分にできることを考えます。」 

実際はもっとまとまりなく話していますが、

内容は大体こんな感じです。

 

「お疲れ様でした。面接は以上です。」

 

 

 

 

2020年2月。

結果はメールで届きました。

 

 

 

   

2019年度秋募集

 

 

 

 

 

2次(最終)選考、合格

 

 

 

 

 

派遣国、ベトナム。

 

 

 

 

 

 幻の2020年度1次隊

結果を会社に報告した日、

全国ニュースでは、

横浜港に停泊中のクルーズ船内で

ウイルスの感染が拡がっていると

報じられていました。

 

「新型コロナウイルス」という呼び方が、

まだ定まっていない頃でした。

 

JICA海外協力隊 2020年度1次隊

候補生となった私は、

2ヶ月後に始まる派遣前訓練を控え、

休職手続きも済ませていました。

 

 

早くウイルスが収まってほしい。

 

でも、

その願いがすぐには叶わないことを、

日に日に感じ取っていました。

 

 

そして2020年3月中旬、

覚悟をしていたメールが

私の元に届きます。

 

 

「派遣前訓練

 実施期間の変更について」

 

 

結局、翌年2021年の4月まで

丸1年の延期が決まり、

2020年度1次隊の身分は

幻となりました。

 

 

当時の状況を鑑みれば、

延期は当然だったと思います。

 

ただ、頭でわかっていても、

家族や会社にさんざん迷惑をかけた末

やっとつかんだチャンスが遠のいたことを

なかなか受け入れられませんでした。

 

 

当時8歳の長男に、現状報告。

 

 

お父さん、ベトナムに行けないかも。

 

「ふーん、じゃあまだ一緒に遊べるね。」

 

 

 

いろんな感情が入り交じり、

声を上げて泣きました。

 

 

 春を待つ

休職手続きは終えていたものの、

幸い私は会社の厚意で

そのまま1年間働くことができました。

 

先が見えないとはいえ、

ベトナム派遣予定の協力隊候補生

という身分も確保されました。

 

しかし、同期隊員の中には、

訓練に備えて会社を辞めた人もいれば、

コロナで配属先の受け入れが困難になり、

派遣国が何度も変更になった人もいます。

 

さらに、各国で活動中だった隊員は

一斉帰国を余儀なくされ、

今も再渡航が叶わない人もいます。

 

私は圧倒的に、恵まれている方でした。

 

 

ローカルとベトナムをつなぐ活動は

当分考えられない状況でしたが、

来たるべき時に備え、ひたすら蓄えました。

 

 

 

 

  

必死でもがくうちに春が来て、

 

 

2021年4月、

1年待った「派遣前訓練」に参加。

  

 

訓練については別記事にまとめますが、

私以上に怒濤の日々を過ごした、

私以上に変人だらけの仲間に恵まれ、

本当に幸せな時を過ごしました。

 

 

 

訓練が終わってもコロナに翻弄され続け、

渡航日が決まってはまた延期、

繰り返していました。

 

それでも、 

 

何度も何度も調整して下さった

スタッフの皆さんのおかげで、

 

ついに。

 

 

2021年9月、

JICA海外協力隊員として

ハノイ到着

 

 

 

思い立ってから実現するまで、

丸4年かかりました。

 

 

 旅立ちの日に

地元石川を出発する日の朝。

登校するため先に家を出る長男を

玄関で抱きしめると、

 

長男は

「じゃ、また2年後。」と笑顔を作り、

涙をためながら出て行きました。

 

「あと何日お父さんと遊べる」と

一緒に寝ながらカウントダウンしては、

再三の渡航延期に心を乱された9歳の長男。

このコロナ禍に、

父親が1人で海外へ行くことの意味を、

ちゃんと理解してくれていました。

 

  

 

朝、いつも通り会社へ向かう妻は、

私に手紙をくれました。

  

「2年後、いろんな意味で

 パワーアップした姿を

 見せられると良いね。お互いに。

 応援してるよ。」

  

家族の不安を拭えないまま

2年も家を空ける夫を、

妻はどこまでも前向きに

後押ししてくれました。

 

 

私は本当に、恵まれています。

 

ごめん。

ありがとう。

 

 

 つたえたいこと

私はただひたすら周りの人に恵まれ、

いつもいつも誰かに支えてもらいながら

生きているだけの中年です。

 

スタートラインにたつまで4年もかかり、

まだ何も成し遂げておらず、

まだ大した価値も提供できない中年です。

 

おそらくはこのベトナム生活も

挫折と失敗を繰り返し、

誰かの手を焼き続ける2年となるでしょう。

先に謝ります。ごめんなさい。

 

ただ。

 

 

「私がいまベトナムにいる理由」を

ホテル隔離のさなかに自問した時、

これまで支えてくれた全ての方と、

これから支えてくれる全ての方に、

せめて感謝を伝えたいと思いました。

 

でも私は口下手で、

普段の会話ではなかなか思いが伝わらないので、

 

感謝の思いをふんだんに混ぜながら、

気づいた方にニヤッとしてもらう

小細工を仕掛けるため、

こんなだらだらと長い記事を書きました。

 

 

断言します。

ここまで読んで下さったあなたは

私が心から感謝している大事な人です。

まだお会いしていない方ならば、

こんな記事に時間を割いてくれたことに

心から感謝しています。

 

私はこれからも感謝を伝えたい方に、

よろしければブログをご覧下さい!

と言いふらします。

  

 

またいつでも、

よろしければブログをご覧下さい!

 

2021年9月

山本岳人(Gakujin)

 

 

 

読んでいただきありがとうございます!

 

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