「日曜は何してたの?」と
ベトナム人の友人に聞かれ、
日本なら「M-1見てた」と
1秒で返せるところ、
「日本で最も有名なコメディの
競技大会をテレビで見てた」
という複雑な返答を
約15秒かけてひねり出しました。
ベトナム生活3ヶ月目の
Gakujinと申します。
ありがたいことにこのM-1グランプリ、
予選ネタや事前企画だけでなく、
敗者復活&決勝のネタも
公式サイトに即アップされたので、
日本のテレビが見られないベトナムでも
放送当日に楽しめました。
私、長距離移動の際はいつもスマホで
過去のM-1ネタを聴いていまして、
3ヶ月前乗ったベトナム行きの機内でも
ずっとひとりでニヤニヤして
CAさんが途中から来なくなったくらい、
とにかく大好きな番組です。
以下、番組内容が含まれます。まだ見ていない方はご注意ください。
日本語がわからないベトナム人にも
せめてこの熱量をわかってほしいと思い、
今回のトップバッター、
モグライダーのネタを友人に見せながら
懸命に漫才の面白さを伝えたのですが。
友人の感想、
「良い歌だね。」
歌番組に間違えられたまま
「もうええわ」となりました。
美川憲一さんの名曲「さそり座の女」についてのネタでした。
力及ばず、申し訳ない。
ちなみにベトナムにも
お笑い番組はたくさんあるのですが、
往年の“ドリフ”に近い雰囲気の
コント番組が多い印象です。
たとえばこんな感じ↓
もちろんベトナムには
「スタンダップコメディ」
(即興話芸)もありますが、
欧米と同じように、
1人の話し手が客と対話する感じです。
こんな感じ↓
総じてベトナムの大衆娯楽は、
話芸=漫才よりも
演芸=コントが主流です。
日本で言う“正統派漫才”は、
まだベトナムで見たことがありません。
外国人に漫才の良さが伝わらない
もどかしさはあるものの、
話術だけで表現する漫才より
視覚表現の幅が広いコントが主流なのは
そりゃ自然かぁ、とも思います。
2番手・ランジャタイのネタを見ながら
漫才とは何なのか
全くわからなくなりましたが、
私はただの漫才好きなので、
何でもいいやと思いました。
それにしても、
どうして漫才は、
もとい、M-1は、
こんなに面白いのだろう?
その場を動かずに爆発的な笑いをとる、
6番手・オズワルドや
10番手・もものネタを見ながら
改めて考えていました。
ふと浮かんだのは、
以前本で読んだ
「緊張と緩和」理論でした。
笑いとは、
緊張が緩和した時に起こる
生理的現象である
という、
落語家の桂枝雀さんが提唱した理論です。
で、
この理論を頭に置きながら
M-1を見ていると、
まさにこの「緊張と緩和」が
全ての面白い漫才に共通している!
と気がつきました。
そして、
「M-1が面白い理由」が
3つの観点で説明できる!
という持論に至りました。
注:以下、単なるお笑い好きの見解です。
その① ボケとツッコミの役割
脳科学者の茂木健一郎さんによると、
人間はわからないことに直面すると、
脳が緊張し、こわばるそうです。
漫才のボケとは、まともな人にとって
「わからないこと」なので
観客の脳は一瞬緊張しますが、
そこにツッコミという解説が入ることで
緊張が緩和され笑いになる、
という正攻法の観点です。
参考記事
https://r25.jp/article/573052766875301885
3番手・ゆにばーすや
4番手・ハライチ(敗者復活)のように
ボケでも笑わせて
ツッコミでさらに増幅するという
「ハイブリッド的」な漫才もありますし、
一方で、先述のももや
2019年王者・ミルクボーイのように
ツッコミにボケ要素が搭載されたような
「2in1」的な漫才も、
笑うポイントがわからない緊張を
解説で緩和させるという意味で、
役割分担が効いていると思います。
その② 緊張感のある環境
一言で言うと、
「坊さんが屁をこいたら面白い」
という理屈です。
全国生放送の権威ある大会で
失敗が許されない中、
プロの芸人さんは
高速トークや絶妙な「間」を
完璧につくり上げています。
しかも、面白い漫才のほとんどは
話し手自身が笑うことなく真剣な表情。
思わず相方が笑っちゃったという技を除く
こういう緊張感が全て、
爆発的な緩和への導火線だ
というのが2つ目の観点です。
また、今回の9番手・インディアンスの
「怖い動画」ネタや、
2018年・和牛の「ゾンビ」ネタ、
2016年・スーパーマラドーナの
「エレベーターに缶詰め」ネタのように
本来笑う場面とは真逆の
緊張感のある題材が多用されるのも、
この観点が一因ではないでしょうか。
そう考えると、
年末恒例の「笑ってはいけない〇〇」は
緊張感をつくる仕掛けとして最強ですね。
ちなみに、
私がM-1史上最も衝撃を受けたネタ、
2003年・笑い飯の
「奈良県立歴史民俗博物館」は、
この観点の最右翼だと思います。
その③ ”しばり”からの緩和
すごく話が飛ぶのですが、
ベートーヴェンの交響曲第5番
「運命」という曲はほぼ、
「ででででーん」というフレーズの
組み合わせでできています。
別に自分の曲なのだから
自由に作曲すれば良いものを、
ベートーヴェンはわざわざ自らに
「ででででーん」の”しばり”を課し、
しばられた緊張感の中で
あの名曲を生んだのです。
漫才がコントを凌駕する答えは
ここにあると私は思いました。
しゃべりだけで勝負という
“しばり”があるからこそ、
緊張から緩和への大きな落差ができる
というのが3つ目の観点です。
“しばり”で思い出しましたが、
今年のキングオブコントでも
王者・空気階段の”しばり”っぷりは
常軌を逸脱していましたね。
すみません、
本当に思いだしただけです。
M-1に話を戻します。
今回の大会。
決勝で披露された10組のネタはどれも、
しばりすぎでは?と思うほど、
厳格なテーマが課されていました。
たとえば。
5組目・真空ジェシカ
テーマ「一日市長になりたい人」
7組目・ロングコートダディ
テーマ「ワニに生まれ変わりたい人」
そして。
今回、見事王者に輝いた、
錦鯉の最終決戦ネタ。
テーマ、
「猿を捕まえたい人」。
このネタを見た後、
私は自問しました。
もし私が芸歴20年強の芸人で、
念願のM-1最終決戦に進めたら、
どういうテーマにするだろう?
たとえ猿が好きでも、
たとえ猿のまねが得意でも、
たとえ捕獲業者に一石を投じたくても、
「猿を捕まえたい人」という
SFを超えるようなテーマで、
人生の大一番に挑めるだろうか?
いや、私はできないと思いました。
錦鯉のツッコミ、
渡辺さんがネタ中に言うように、
「もっとやることあんだろ!」
と、自ら課す”しばり”の無謀さに
打ちひしがれると思います。
そんな中、
錦鯉はこの壮絶な”しばり”に耐え、
史上最年長で栄冠を手にしました。
YouTubeではネタしか見られないので
スタジオのやりとりはわかりませんが、
日本最高峰の舞台で
長年の緊張状態を解き放ったベテランが、
優勝決定の瞬間をどんな思いで迎えたか。
想像するだけでも、
私の涙腺は緩和しっぱなしでした。
ライフイズ、ビューティフル。
6000組以上の参加芸人の皆様、
ことしもたくさんの笑いを
ありがとうございました。
私はただのお笑い好きですが、
素晴らしき日本の漫才文化を
ベトナムでも知ってもらえるよう、
せめて歌番組と間違えられぬよう、
自らに”しばり”を課してまいります。
読んでいただきありがとうございます!
↑こちら↑をクリック頂くと、
各キーワードに関連した
他の方のブログもチェックできます!
「にほんブログ村」のランキングサイトです
キャッシュの問題でブログが更新されない場合も
「にほんブログ村」経由だと最新記事が表示されます!
Twitterでも時々発信しますので、
フォロー頂けたらうれしいです!
Twitter→@gakujin_asia